神は何処に
「神は人間の創造物である。」
こんな言葉を聞いて考えさせられた。
もとより、いわゆるキリストのような人の形をした神の存在は人間の想像上の産物にすぎないと考えていたが、物理法則のような形での「神」の存在はある意味信じていた。
確かに、神は人間が人間自身の脳みそから作り出した概念である。これは間違いない。
しかし、それを言うならば、数学の法則なども、決して絶対の真理ではなく、人間の都合のいいように人間が作り出したものということになる。
数学の法則などは、「発見された」という言われ方をする。
これは、プラトンのイデア論に通じる考え方で、もともと宇宙の誕生時から存在した数学法則を人間があとから見つけ出してきたというとらえ方である。
これに対して、数学の法則は絶対の真理などではなく、人間が自分たちの認識の許される範囲内で作り出したロジックだという考え方もある。
後者の考え方に従えば、神という概念もまた、人間の創造物である。
本当はどっちなのか、誰にも分からないが、数学が実世界において大変有用なことだけは間違いない。
あまりにも有用なので、人間の創造物というよりも、実世界を裏から規定しているものとも思われてくる。
しかし、数学を実世界に適用する際にはけっしてすんなり当てはめられるわけではなく、あくまで近似的に計算する。それにしても十分な正確さで計算できるのだが・・・。
個人的には、やはり数学や神は人間の苦し紛れの創造物というよりも、あらかじめこの世界に存在するもののように思われる。ただし、神というのは決して神話の世界の神ではなく、この世界の森羅万象の基礎となる物理法則を作った存在である。
世界は本当に「無」から生じたのか?それとも未知の存在=神が恣意的に作り出したのだろうか。
神が存在するとして、それがいかなる存在なのかは、誰にも分からない。
こんな言葉を聞いて考えさせられた。
もとより、いわゆるキリストのような人の形をした神の存在は人間の想像上の産物にすぎないと考えていたが、物理法則のような形での「神」の存在はある意味信じていた。
確かに、神は人間が人間自身の脳みそから作り出した概念である。これは間違いない。
しかし、それを言うならば、数学の法則なども、決して絶対の真理ではなく、人間の都合のいいように人間が作り出したものということになる。
数学の法則などは、「発見された」という言われ方をする。
これは、プラトンのイデア論に通じる考え方で、もともと宇宙の誕生時から存在した数学法則を人間があとから見つけ出してきたというとらえ方である。
これに対して、数学の法則は絶対の真理などではなく、人間が自分たちの認識の許される範囲内で作り出したロジックだという考え方もある。
後者の考え方に従えば、神という概念もまた、人間の創造物である。
本当はどっちなのか、誰にも分からないが、数学が実世界において大変有用なことだけは間違いない。
あまりにも有用なので、人間の創造物というよりも、実世界を裏から規定しているものとも思われてくる。
しかし、数学を実世界に適用する際にはけっしてすんなり当てはめられるわけではなく、あくまで近似的に計算する。それにしても十分な正確さで計算できるのだが・・・。
個人的には、やはり数学や神は人間の苦し紛れの創造物というよりも、あらかじめこの世界に存在するもののように思われる。ただし、神というのは決して神話の世界の神ではなく、この世界の森羅万象の基礎となる物理法則を作った存在である。
世界は本当に「無」から生じたのか?それとも未知の存在=神が恣意的に作り出したのだろうか。
神が存在するとして、それがいかなる存在なのかは、誰にも分からない。
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